27 Nov 2021
1931年11月27日、オットー・ツーヘンハーゲンは、ドイツ北部の都市キールに酪農技術コンサルタント会社を設立しました。当時、周辺地域には約500の酪農場があり、近代化を必要としていました。自ら回顧録で認めているように、この進取の気性に富んだエンジニアは酪農業界に長い間留まろうとは考えていませんでした。「簡単で初歩的な機械工学」のみが必要とされ、彼のような「高度な資格を持つ高精度を扱う機械エンジニア」にとっての仕事はないと思い込んでいたからです。後に彼は、酪農業界によって提起された課題を巡って自分のキャリア全体を形作ってくることができたことへの驚きを語っています。生粋の発明家である彼は、当時使われていた複雑なロータリーローブ式ポンプに代わる遠心式ミルクポンプを初めて開発した。また、チューブ式や円筒形の低温殺菌器、熱交換器、そして冷却器も設計しました。彼の泡の立たないセパレーターは、当時の酪農場で頻繁に起こった床の上に膝の高さまで泡が立つという問題に、ついに終止符を打ちました。
やがてツーヘンハーゲンは、新たな未開発の酪農場、および改築のための契約を確保することになります。1930年代と1940年代に、わずかな財政的支援に支えられた若きエンジニアは業界の従来のサプライヤーの多くをその座から追い落とし、その後の自分のプロとしてのキャリアを通してその反動を感じるであろうにもかかわらず、波風を立てることを恐れないところを見せていました。拡大しつつある彼の発明のリストには、最初の全自動牛乳缶充填ラインと、現代の定置洗浄技術の前身となった最初の自動清掃システムがあります。これには、スズめっきした銅、ブロンズ、およびアルミの配管や容器をニッケルクロム ステンレス鋼で置き換えた結果、ついに酪農場が化学洗浄を実装できるようになったという意義がありました。ツーヘンハーゲンのプロジェクトのリストが成長し、経験が増すにつれ、たとえ最新の酪農場であっても、既存の低温殺菌法では信頼性に欠けるとの確信を持つようになりました。第二次世界大戦の終わりでさえも、ドイツの人々は依然として低温殺菌されていない生乳を供給され、飼料牛乳のみが低温殺菌を要求されていました。
– オットー・ツーヘンハーゲン。彼の回顧録、「オットー・ツーヘンハーゲン - ビューヒェンでの機械製造」 ("Otto Tuchenhagen – Maschinenfabrik in Büchen") より
ツーヘンハーゲンがキールからハンブルグへ、さらに爆弾による損傷のため、ハンブルグからビューヒェンという小さな町へとすでに引っ越していた戦後、連合国はドイツ製の乳製品について警告を発していました。ツーヘンハーゲンによれば、当時はドイツ製の牛乳の中に生きた結核菌が発見される可能性があり、初心者による酪農場は言うまでもなく、家畜の90パーセントが結核に感染していました。1950年の全国酪農会議 (national dairy conference) において、ドイツの酪農場は感染を抑える義務を果たせなかったことを批判されました。ツーヘンハーゲンの評価はもっと厳しいものでした。彼は反応の遅い温度計と、蒸気管と凝縮管の間の手動の三方弁のような、当てずっぽうの制御装置のために高精度の衛生的な操業が不可能になっていることを述べ、酪農装置メーカーの衛生上の不祥事を非難しました。彼は「根本的に方法を変える」よう、酪農業界に呼びかけました。
ツーヘンハーゲンと彼の会社の従業員たちはこの課題を自分たちで引き受け、業界の衛生上の問題をなくすための工程ソリューションを開発しました。機械装置の下の衛生ボール フィートや電気装置の防食など、一部の発明は今日では取るに足らないものに思われるかもしれませんが、そのような改善は、非常に必要とされていた乳製品処理技術の近代化に大きく寄与しました。これには、1966年の低温殺菌装置の配管と設置に関する業界の標準1も含まれていました。これは「ツーヘンハーゲン自動ダイバータ」として知られ、バルブとポンプを使用して、生乳中の配管洗浄と低温殺菌室内での配管洗浄との間の自動切り替えを可能にしました。その結果、世界クラスの標準がドイツの乳製品生産に導入され、それらの食品に対する消費者の信頼を回復しました。
ツーヘンハーゲンはドイツの初期の酪農場の全自動化を支援し、天の恵みとして与えられた生産能力の拡大の結果、手作業による洗浄はほぼ不可能となりました。彼は後に、「私の会社は、オートメーション化において重要な役割を果たしました。なぜなら、私たちには豊富なエンジニアリングリソースがあり、さらに、オートダイバータから始まるリモートコントロールの経験で20年先を行っていたからです。」、と書いています。
同社のエンジニアは清掃可能なポンプ、バルブ、さらに容器、装置、および生産ライン全体の清掃システムを開発しました。それらのソリューションは今も弊社の中核となる製品ラインを構成し続けています。やがてツーヘンハーゲンは、酪農だけでなく、食品・飲料工場、鉱業・化学工業、造船所、自動車工場など、生産設備全体の設計・施工を担当するようになりました。今日と同様、特定の高性能や衛生基準を満たすことのできるバルブやポンプへのニーズが生じると、いつでもツーヘンハーゲン社の専門スタッフに声がかかりました。
1950年に導入されたTuchenhagen社製ダイバータは乳製品用の安全な自動バルブで、低温殺菌工程を改善し、牛乳の保存期間を延長しました。
1960年代には、オットー・ツーヘンハーゲン有限責任会社は300人を超える従業員を擁し、70件の自社内特許から成る堂々たるリストを所有していました。ですが、同社の歴史と食品加工の未来を形作るのに最も大きく寄与した発明は、世界初のダブルシーティング シート バルブでした。1967年、同社はパイプの継ぎ目での互換性のない製品の混合防止遮断を保証するダブルシート バルブを導入しました。このバルブとその動作原理は世界中でツーヘンハーゲン社のシグネチャー製品となり、今日も、牛乳からケチャップまでを含めた液体の安全で衛生的な処理のための有益な技術であり続けています。
最適化されたVARIVENT®ダブルシート バルブによって1975年に完璧なものとなったこの技術革新は、ツーヘンハーゲン社の最初の醸造所顧客の1社であるカリフォルニア州のアンハイザー・ブッシュ (Anheuser Busch) 醸造所でスターシップ エンタープライズのエンジン室のシーンが撮影された際、銀河系へのデビューすら果たしました。「もしあなたが自分のバルブをご存じなら、それらの映画の中でVARIVENT®シリーズのバルブヘッドを見つけることができます。ただしそれらは今日のように黒ではなく、当時はまだブルーでしたがね。」、とマネージング ディレクターのフランツ・ビュルマン (Franz Bürmann) は秘密を明かします。
今日、衛生バルブ技術のベンチマークとしてしっかり確立したVARIVENT®は、洗練されたモジュラー バルブ システムにより、液体の生産における製品と加工の安全原則の一貫した適用を保証しています。24/7 PMOバルブが米国の厳しい低温殺菌ミルク条例 (PMO; Pasteurized Milk Ordinance) の下で認可された2007年、VARIVENT®は最高栄誉を獲得しました。これにより、米国内の乳製品工場は初めて中断することなく操業できるようになりました。それ以前は、長い洗浄サイクルを行うために、操業は時として何時間も一時停止していました。2022年、GEAは次世代VARIVENT®バルブを発売する予定ですが、それもまたもう一つのベンチマークとなることでしょう。
– フランツ・ビュルマン (Franz Bürmann)、GEA Tuchenhagen社マネージング ディレクター
1960年代後半のドイツで最初の自動乳製品製造所、さらに1972年のこれもドイツで最初のハンブルグにあるターンキー醸造所を始めとして、同社がより多くの工場エンジニアリング プロジェクトを引き受けるにつれ、オットー・ツーヘンハーゲンは会社を譲り渡す方法を考え始めました。発酵の専門家であるハンスオットー・ミエス (Hans-Otto Mieth) は1975年にマネージング ディレクターに昇格し、後に同社の所有権を取得しました。彼は醸造所の設置事業への同社の進出において手腕を発揮し、近代的な加圧ビール発酵や、保管容器 (これにより、開いた発酵樽の時代に終止符が打たれました) の開発により、業界でよく知られています。
ミエスと彼のチームは海外に目を向け、多様化しつつも、食品の安全とオートメーションを優先し続けました。新たな集中領域には、オートメーションと制御、企業の買収、低温殺菌装置や牛乳運搬用トラックの製造、膜技術の開発、世界各地でのさらなる営業所の設立、そしてビューヒェン (Büchen) の第二工場の自動バルブ生産のための拡張がありました。
ドイツのビューヒェンにあるGEA Tuchenhagen社工場、GEAの衛生バルブ技術のためのコンピテンス センター (Center of Competence in Hygienic Valve Technology) の航空写真
ミエスはOtto Tuchenhagen GmbH を世界中に展開しました。しかし、1,500人の従業員と7人のマネージング・ディレクターがいるため、ビジネスモデルの焦点が定まらなくなっていたのです。「企業グループの傘下」に入るという意図を否定してはいましたが、ミエスは1995年、この道をとり、Tuchenhagen社はGEAの一部となり、同グループの加工技術関連の活動の支柱となりました。
GEAは以前のTuchenhagen社の事業を技術分野別に再編し、2004年、工場エンジニアリングと機械工学の事業を分離しましたが、これは両者にとって非常に良い動きであることが証明されました。ニロ スプレー ドライヤーとともに、工場エンジニアリング活動は今日、液体処理・動力技術部門の中心となっています。コンポーネントの製造を含む機械工学事業は、GEA Tuchenhagen社 (・フローコンポーネント技術部門) として操業を続けています。
今日、弊社は食品および飲料、乳製品、医薬品、および化学物質の各業界のお客様の製品の安全と工場の効率を確保するために、衛生的なバルブとポンプ技術、および洗浄システムを開発しています。施設所在地にはビューヒェン (ドイツ)、コシャリン (ポーランド) のGEAの衛生バルブ技術のためのコンピテンス センター (Center of Competence for Hygienic Valve Technology)、ベンガルール (インド)、および上海近郊の蘇州 (中国) があります。2018年に発足した超近代的な蘇州の多目的施設のすぐ後に続いたのは、GEAの未来工場 (Factory of the Future) です。これは長い歴史を持つコシャリンの施設所在地において現在建設中の新工場です。2022年半ばまでには、新施設で衛生ポンプ、コンポーネントの生産と、モジュラー原理に従った総合的な機械加工が開始される予定です。
勤続30年以上の従業員はGEA Tuchenhagen社内では珍しくありません。既存の従業員の多くがGEAへと問題なく移行しました。研修生が生涯にわたって会社に留まることはよくあることで、多くの優秀な社員や管理職がここでキャリアをスタートさせています。素晴らしいチーム精神の理由の一つは、研修員や大学生が作業場内で高い技能を持つ従業員と肩を並べて仕事ができる優れた研修プログラムです。
「この会社に入れば、あなたは家族に仲間入りしたことになります。あなたには学び成長し、挑戦を受け、自信を育み、先駆的な国際グループの中で仕事に着手し、機会をつかむ自由を楽しむことができる安全な家があるのです。」
溶接技術担当の建設機械工クララ・ストルプ (Clara Stolp) は、2016年にビューヒェンで見習いとしてGEAに入社しました。
組立担当副長アンドレアス・グレスマン (Andreas Gressmann) は熟練した組立工であり、1977年にビューヒェンで弊社に入社しました。
2000年にマネージング ディレクターとなったフランツ・ビュルマンは、「私たちは製品と工程の開発を続けることにより、会社をより強力にすることに成功しました。従業員数は増え、私たちの事業は景気づいています。この過去20年間にわたる進歩は、従業員にとっては安定した職があったと同時に、事業の成果が非常に良かったということでした。」両方の成果は、しりごみしたり人の後についていくよりむしろ、技術的にリードすることからくる健全な自信に反映されています。
– アンドレアス・グレスマン、ビューヒェンのGEA Tuchenhagen社の産業整備士
「私たちの目標は常に、お客様のニーズに応えることでした。」、とビュルマンは語ります。その一つに、モジュラー バルブ シリーズを特定の市場の要件に適合させることが含まれていました。たとえば中国のお客様のニーズに応えるために、FLOWVENTシリーズは適合され、今日ではGEAの最先端の蘇州フロー コンポーネント生産施設で製造されています。インドの市場向けに同じシリーズを注文製造するという計画もあります。このモジュール方式により、お客様は生産システムの特殊性にかかわらず、標準化された部品のメリットを享受しながら、当社のソリューションを活用することができます。これによりお客様の在庫管理と保守が簡単化され、所有の総コストが最小になります。
コンポーネントの設計は、デジタル化と持続可能性の両者において変革を推進するカギです。製品マネージャーのベルント・ポラス (Bernd Porath) は次のように手短かに語ります。「工場の稼働時間、ロバスト性、そして工程の繰り返し可能性は、持続可能性の向上にとってすべて不可欠です。最適に構成された永続性のある工程技術は、弊社のお客様の工場のスムーズな操業にとって非常に重要な役割を果たします。洗練され自動化された機能とフィードバックのオプションは、気候への影響の改善に寄与します。そのため、制御からプロセス診断、予知保全に至るまで、バルブ製品にさらなる機能を持たせていく予定です。それらのトピックは常に弊社のエンジニアリング革新を推進してきましたし、将来の工程科学技術者の仕事の焦点であり続けるでしょう。」
1Erhitzerausschuss (1966年): “Richtlinien für die Schaltung und Montage von Erhitzungseinrichtungen”、改訂版 1998_Kieler_MW_FoBer_v50(4)p343-356.pdf (openagrar.de)